たかじのつらつら

反省はしない

映画の感想?_カラオケ行こ!(3)

3/1(金)、「カラオケ行こ!」を見た。(もうn回目でいいやろ…)

※毎回何かしらこれを見ようとか楽しもうとか思ってカラオケ行こ!の映画に臨んでるけど、その気持ちで見通せたことはない。狂児の「元気くれるんやなかったの?」からどばどばになる。

映画を見て原作を読んでを繰り返してするうちに、同じキャラでも映画と原作で違いを感じるようになっていて、そこに対してはやっぱりどっちも好き!ってなるから今日はこの辺を書きたいと思う。

まず最初に言っておく。私は原作でも映画でも狂児がめっっっっっっっっっっっっちゃくちゃ好きみたい。最初映画を見たときからアッ!これは好きやん!っていう感覚はピンとくるんだけど、どこがどう好きとかまで語れるには到底至らず、単にGO綾野の顔にやられるだけじゃないのかまで思ってしまったけど、まぁはっきりしなかった。ただ徐々にだが原作や映画などを浴びるうちに分かってきた感がある。あの掴めなさに惹かれてるみたい(へへへ)。だから、これ以降おたくうるせぇってなってもちょっと許して欲しい。

映画の狂児(以降、綾野狂児とさせていただく)は原作よりも人間味を感じる。

中学生をカラオケ屋に連れ込んだり校門の前で待ち伏せたり全くもって勝手してるのに、それを奔放の言葉で丸め込めて、相手の懐にするりと入りこむ器用さ。これは別に狂児がそうしようという意図があるわけじゃなく最初からそういうことができてしまう人間なんだろうなって感じてるから、ある意味愛嬌があるとも言えるかも知れない。

原作狂児はこれらを聡実くんの前でもさらりとポーカーフェイスでやってのける。相手に顔から読ませていいところは読ませるけど、そうじゃないところはすっと線引いてしまうみたいな。相手に線引かれたとは思わせないんだけど(ファ。見る限り聡実くんには伝わってますね)。

ただ綾野狂児はそこが少し薄いと思う。3次元だから当たり前かもしれないけど、感情が滲み出てしまうというかあえてそう見せてくれてるのか、気持ちの揺れが画面越しに伝わってくるのがすごくありがたいし一層好きになる。そこを一番感じたのは校門の前で聡実くんから怒鳴られて捲し立てられてるとき、あぁこれまずったなと聡実くんめちゃくちゃ怒っとるな等がぶわっと押し寄せてきてるのが表情に出てる気がする。その後行ってしまう聡実くんを引き留めようとしたんだろう(と綾野狂児の頭の動きから判断した)続いた台詞の「元気くれるんやなかったの」には必死さを感じてしまって、の胸がキュッってなってしまって、なぜか泣いてしまうのよな…すぐに謝ることもできただろうに、39年分の狂児でもそれができなかった、そうさせたのが聡実くんってまじでハッとする。

紅を絶唱する聡実くんの姿を見つめる綾野狂児の視線、表情、改めて今日そういう顔するんだって思った。ぼうっとしているような感じで、歌う聡実くんを見てはいるんだけど、その奥の聡実くんとの会話や一緒にすごいた時間まで含んで見つめているような感じで、紅の歌を聡実くんを通して見るような…何にも代えがたい瞬間だろうなって分かる。蚊帳の外の私が毎回聡実くんの紅にやられてるから、それを捧げられてる張本人の狂児なんてもう言葉にできないくらいアレじゃないか?そうアレだよ、何か、もう、言葉にできない(小田和正

綾野狂児ほんとすごいよ…いい加減にして欲しい、好き、狂児でいてくれてありがとう、ファ。の劇場版待ってます(切実)。

 

次回、齋藤聡実くん編に続く!

 

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3/2(土)追記>>

やっと届いた映画のパンフをじっくり読んだんだけど、その中で監督たちが話してた映画の狂児は温度のある狂児っていうところ、ちゃんと受け取れてて良かった〜!ってなった!!